四代目社長にあたる佐藤雄二さんは、昭和38年(1963年)に双子の弟として生まれた。
地元の高校を卒業後、日本ビジネススクールの観光科に入学。接客の基礎や心構えを学んだ。
| 1963年 (昭和38年) |
山形県米沢市小野川町2430番地生まれ(生年月日:昭和38年10月13日) |
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| 1981年 (昭和56年) |
山形県立米沢工業高等学校 卒業 |
| 1984年 (昭和59年) |
日本ビジネススクール(観光科)卒業 |
| 同年7月 | 日本ヒルトンインターナショナル(現・東京ヒルトンホテル)入社。 ・・・新宿のヒルトンホテルで、ルームサービスや配膳を担当した。この時、上司がアメリカ人だったことから、英語も習得。 5年間のホテル業務で、アメリカ流のサービス精神も身に付けた。 それは、一般の利用者から、VIPのお客まで、全ての人が満足できるような接客を心がけるということだった。 |
| 1988年 (昭和63年) |
有限会社 河鹿荘 入社 1988年 実家である宿に帰ることとなる。東京で学んだ接客のノウハウを導入し、新しい風を吹き 込んだ。 |
| 1993年 (平成5年) |
30歳で常務取締役に就任。 |
| 1998年 (平成10年) |
35歳で専務取締役に就任。 この頃、小野川温泉全体では不景気の波が押し寄せ始めた。 1992年の28万人をピークに、バブル崩壊の煽りを受け、2001年には、19万人にまで減少。「河鹿荘」も経営不振の状態にまで落ち込んでしまったという。 |
| 2001年 (平成13年)4月 |
佐藤雄二さんが、満を持して四代目社長に就任。 そして、「先祖代々続けてきた宿を潰すわけにはいかない」との思いで、宿の改革を実行していく。 通常、宿を改善する際には、宿泊料金を変えたり、サービス内容の見直しといったところが相場。しかし、彼はそんな固定概念を持たなかった。 単純に考えれば、最も宿を苦しめているものは、銀行に借りた借金の金利である。高い金利を下げてもらうため、取引銀行との交渉に乗り出した。 当初は取り合ってくれなかったが、社長はゲリラ作戦に出る。宿のスタッフを銀行まで連れて行って、行員に対して営業活動を開始したのだ。 業務の妨げになることを恐れた支店長は、その後「河鹿荘さんの強い気持ちは理解しました」として、金利の引き下げを認める事となる。 また、この年に、鉄道会社・旅行会社の若手勉強会から、観光地開発を行いたいと小野川温泉にオファーがあった。 これを受け、旅館や商店の若手経営者が中心となる『小野川温泉観光「知」実行委員会』が発足。佐藤社長がその委員長に就任する。 地域を「知」り、観光に「知恵」を絞り、街作りを行うというのが、この会の合言葉。 これを機に小野川温泉が一致団結し、魅力ある街作りに協力しあうようになった。 この委員会での話し合いで、「お客様が旅館から出てもらうこと」、「町全体でホスピタリティーアップに努めること」という基本理念で、様々なアイデアが生まれた。そして、委員長である佐藤社長を中心にすぐさま実行に移していった。 そのいくつかを具体的に挙げていくと、まず、コマの形をした「夢ぐり手形」という「温泉入浴パスポート」を作成。 また、各旅館共通の下駄を用意し、温泉街を散歩してもらったり、木製のベンチと野立ての傘が置いてある休憩所「そぞろ歩きお休み処」も設けた。 面白いところでは、「何処でも出前」というサービスも実施した。 これは雪が降る時期以外の4月中旬~11月下旬で、街の飲食店に協力してもらい、出前スポットを温泉街5ヵ所に設け、携帯電話でオーダーすれば、米沢ラーメン、カツ丼、蕎麦などを、その場に届けてくれるというもの。 冬の間は、一部のエリアに“かまくら”を作って、そこが出前スポットとなるような、都会の人間からすれば楽しいサービスが実施された。 さらに、長年催されている「小野川温泉ほたるまつり」や、地域の人とお客が交流できる「朝市」の開催、温泉街散策マップの作成、散策に便利なレンタサイクルの無料貸出しなど、続々とサービスを提供していった。 そして、マスコミにも多く取り上げられるようになり、生まれ変わった小野川温泉は、逆に、全国の温泉地から注目されるようにもなったのだ。 |
| 2003年 (平成15年) |
委員長を務めていた佐藤社長の功績が認められ、国土交通省が認定する「観光カリスマ」に選定される。 「天命と思わなければ、旅館業をやる資格がない」という社長は、熱いハートの持ち主。 思いついたら即行動する彼の実行力によって、小野川温泉全体が成長できたと言っても、言い過ぎではないだろう。 |
| 2005年 (平成17年)2月 |
この頃の佐藤社長を中心とした小野川温泉の奮闘は、テレビ朝日系列「素敵な宇宙船地球号」でも取り上げられ、話題となった。 |
2003年以降、佐藤社長は「地域中小企業サポーター」「地域活性化伝道師」など多くの肩書きを持つことになり、宿以外の仕事が随分と増えてしまった。
そうなると、本来の宿の運営やサービスはおろそかになってしまうのが常だが、奥さんで若女将の佐藤美江さんがしっかりと宿を支えているので、影響はないようだ。
また、最近では、佐藤社長の双子の兄である佐藤和宏さんが支配人を務め、宿を指揮し始めたので、いっそうサービス面での評価も高くなった。
佐藤支配人は、函館にある大型温泉ホテルで、執行役員・総支配人を務めてきた経歴の持ち主。
公式HPも支配人が担当し、磐石な体制でお客を迎え入れられるようになった。
・・・このプロフィールページは「貸切温泉どっとこむ」の記事を追加して再構成させてさせていただきました。






